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【TOJUジャーナル 2023 年 4 月号(607 号)】

 特集 ペットテックは獣医療の新たな開拓者となるか ペットの健康管理最前線を深掘る

【目次】

・巻頭言 大学病院紹介 第 6 回 「地域を支える高度獣医療の提供と獣医学生の臨床教育を担う」

・特集 「ペットテックは獣医療の新たな開拓者となるか。ペットの健康管理最前線を深堀る」


 巻頭言 大学病院紹介

kantougen-01katagiri.jpg大学病院紹介 第 6 回    

 

                                

地域を支える高度獣医療の提供と
獣医学生の臨床教育を担うポジション

北海道大学 動物医療センター
センター長 片桐成二

北海道大学動物医療センターは、北海道の中心都市である札幌市内にあり、二次および三次診療を中心に高度医療を提供する施設として運営しています。当院での診療は、他の大学施設と同様に一般の動物病院からの紹介症例が大部分を占めています。診療科は、内科、外科、繁殖科、検査科に分かれていますが、内科および外科についてはさらに専門性の高い診療を提供するために、それぞれの分野を得意とする教員が 13 の専門診療科・外来を担当しています。高度医療を提供するためには、多様な人材の確保が重要ですが、大学の教員定員は限られていることから、教育充実のための補助金や研究費を獲得し、これらを財源として若手の特任教員を雇用してきました。現在では、これらの教員が診療活動に欠かせない重要な役割を担っており、引き続き外部資金や病院収入など多様な財源を活用した教員の雇用を積極的に進めていく計画です。

これらの教員に加えて、専門医を目指すレジデント、研修獣医師および診療補助スタッフである愛玩動物看護師が、チームとして診療に当たります。これらのスタッフについては、過度の労働に陥らないための労務管理が重要となるため、この 2 年間でタイムカードによる労働時間の管理や、業務と自己研鑽の線引きの概念を導入してきました。レジデントや研修獣医師にとっては、大学の施設・設備、図書、症例データベースなどを使った優れた自己研鑽の環境は、実際の診療業務と並んで、大学病院で研修を受ける大きな理由の 1 つです。多忙な毎日を送るレジデントや研修獣医師の皆さんには、意識的に業務と自己研鑽を切り分けることにより、ご自身の時間を有効に活用して自らの能力を向上させることを期待しています。

また、当センターでは子育て中の女性獣医師をパート獣医師として積極的に雇用しています。他の二次診療施設と同様に、当センターでも慢性的に麻酔科医が不足しており、病院としての診療業務に制約が出る場合もあります。彼女らパート獣医師は結婚や出産により離職する前に臨床を経験しており、当センターでの研修経験を有する方もいるため、麻酔科医が出払う手術日の検査麻酔や若い研修医のサポートなど、多くの場面でなくてはならない存在です。併せて、当センターでは臨床系の研究室に所属する獣医師資格を有する大学院生も雇用しており、夜間や休日の業務を支える重要なスタッフとなっています。

現在の当センターでは、獣医師と共に、診療放射線技師、愛玩動物看護師および受付スタッフが勤務しています。獣医療に特化した診療放射線技師の教育を行う制度はないため、人の医療に従事する診療放射線技師の資格を持ったスタッフ 2 名を雇用しています。彼らは、動物の医療に関わりたいという強い志で当センターに勤務し、自らの専門分野と獣医療における経験を積んでおり、X線検査、CT検査およびMRI検査や放射線治療などで活躍しています。愛玩動物看護師は、これまでにも診療補助や臨床検査に加え、診療に関わる機材や消耗品の管理、そして保守など幅広い分野でセンターの活動を支えてきました。今年度初めて実施された愛玩動物看護師の国家試験を経て、国家資格に昇格したスタッフの存在は、今後、当センターがより多くの患者を受け入れ、さらに高度な獣医療を提供する上でますます重要な存在になるものと期待しています。国家資格化に伴い、すでに給与面での待遇改善の準備が整っており、愛玩動物看護師が担当する業務の見直しなども検討しています。これらの診療スタッフに加えて、病院の受付および事務を担当する受付スタッフが雇用されています。受付スタッフは、予約管理および診療費精算を含む窓口での受付業務など、動物医療センターの顔としての役割と共に、発注や文書処理など病院の運営に欠かせない存在です。

一方、当センターは地域への高度獣医療の提供という使命に加えて、獣医学生の臨床教育という重要な使命を帯びています。北海道大学と帯広畜産大学で運営する共同獣医学課程では、両大学の学生 80 名が、札幌では伴侶動物臨床、帯広では産業動物臨床を経験します。北大生、畜大生の両方に豊富な症例を基にした、伴侶動物臨床の実務を経験させ、診療に向き合う心構えを身につける場所を提供すべく、教員および上記スタッフすべてが教育に関わっています。

当センターでは学外との連携を密にすることも、センターの活動にとって重要と考えています。北海道大学獣医学部と札幌市との包括連携協定による、札幌市動物管理センターや札幌市立円山動物園との連携はその一例です。動物管理センターに保護された動物に対する不妊処置の実施は、当センターでの研修にも活用されますし、動物の里親探しに貢献することで「殺処分ゼロ」を目指す札幌市の取り組みを支援しています。また、過去 2 年間はCovid-19 の影響で開催ができませんでしたが、研修医や外部の獣医師を対象とする臨床セミナーを開催してきました。令和 5 年度からは、その活動を再開する計画で準備を進めています。

最後に、動物医療センターでは臨床研究にも力を入れています。センターでは、トランスレーショナルリサーチ推進室と呼ばれる、直接診療には関わらない研究部門を置き、臨床材料やデータを基にした研究や高度診断技術の提供を開始しています。現在は教授 1 名、准教授 1 名の 2 名で運営する小規模な組織ですが、すでに病院スタッフや獣医学研究院の教員と共同して複数の臨床研究を立ち上げ、新たな診断技術を開発して有料のサービスとして運営しています。さらに、臨床研究を奨励する目的で臨床研究推進研究費の制度を設け、病院予算から年間 10 件程度の研究に助成を行っています。この制度は、病院スタッフと基礎系の研究者が共同で研究を立ち上げる機会を支援するもので、その成果が研究プロジェクトに発展し、外部資金の獲得につながることを期待するものです。ぜひ一度、トランスレーショナルリサーチ推進室のホームページ(https://www.vetmed.hokudai.ac.jp/research/detail/translational/)をご覧ください。

なお、執筆時は私片桐がセンター長を務めておりましたが、2023 年 4 月 1 日より滝口満喜(内科診療科長・教授)がセンター長に就任しました。より一層、日々努力精進してまいります。

 

北海道大学 動物医療センターの紹介
Web site:https://www.vetmed.hokudai.ac.jp/VMTH/

北海道大学動物医療センターは、動物病院の先生方からご紹介いただいた動物の診察がメインの二次診療施設です。私たちは、動物達の病気の診断と治療を通して、動物の健康と飼い主の皆様の心の安らぎに貢献するように努めております。同時に、大学附属の教育・研究動物病院として、獣医臨床教育ならびに高度先端獣医療の開発と難治性疾患の病態解明などの社会的使命を担っております。

当センターへご紹介いただく場合には診療予約申込書にご記入の上、FAXにてお申し込みください。当センターは予約制となっています。ご希望される診療科と日時をお伝えください。各診療科の外来診療日はこちらをご参照ください。希望診療科が特定できない場合でも、診療予約申込書と経過をまとめた紹介状(フォーマットは問いません)を送信してください。

電話番号:011-706-5239(受付時間 平日 8:30 〜 17:00)

FAX番号:011-706-5278(24 時間対応)

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高度獣医療の実践と獣医臨床教育の強化を目的とし、
2013 年に動物医療センターとして新築された外観。

12 の診察室、広い処置室、臨床血液検査室、5 つの手術室、集中治療室、
放射線治療室、化学療法室、カウンセリングルームなどを効率よく配置。

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獣医学研究院および動物医療センターは北大キャンパス内の北側に位置している。

                                                  

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 特集 『ペットテックは獣医療の新たな開拓者となるか ペットの健康管理最前線を深掘る』

近年、ペットテック(Pet Tech)というジャンルが注目を集めています。主に消費者向けの製品でありながら、医療への応用が期待されており、これからの獣医療にとっても新しい取り組みテーマになる可能性もあります。そこで、今回はペットテックの最前線で事業を展開しており、東京都獣医師会の広報委員長も務める小川篤志さんに、最新のペットテックについて、海外の最新動向も含め、解説いただきます。

 

東京都獣医師会 広報委員長/株式会社RABO

小川篤志

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1996 年版の将棋年鑑の巻末アンケートの中に、興味深い質問があった。それは「コンピューターがプロ棋士を負かす日は?来るとしたらいつか」というもの。1996 年と言えばインターネットすらろくに普及しておらず、AIという言葉も一般的ではない頃のことだ。

 

現役の棋士たちのほとんどは懐疑的だった。否定的と言ってもいい。「プロの仲間入りはできてもトップは負かせない」、「来ません」、「永遠になし」など、AIが人間以上になることはないという回答が占め、茶化すような回答すらあった。そんな中、ほぼ唯一具体的な西暦年まで回答した棋士がいた。それが、当時七冠だった羽生善治九段だ。そこには、シンプルに「2015 年」とだけ書かれていた。それから 17 年後、羽生九段が予測したよりも 2 年早い 2013 年の電王戦で、史上初めて現役棋士がコンピューターに敗れた。AIは、将棋界で鮮烈なデビューを飾った。

 

 

なぜ、獣医師がペットテックに着目する価値があるのか

近年、ペットテックと呼ばれる新たなジャンルが注目を集めている。それは、人とペットの関係性をより密に接続するだけでなく、獣医療にも大きな影響を及ぼす可能性があるという。

 

果たしてそれは本当だろうか? 数万年も前からパートナーであった犬や猫との関係性が変わることはあるのか。医療のような専門技術と確かな経験が必要な領域に、AI(人工知能)やロボティクス(ロボット工学)が介入する余地はあるのか。

 

そんなとき、1996 年の将棋界を思い出さずにはいられない。多くの棋士がコンピューターの台頭する時代など来ないと信じていた。しかし、実際にその日は来た。

 

ペットテックがどのような進化を遂げるかはわからない。しかし、私たち獣医師そして獣医療に関わりがある者にとっては、この黎明期においてペットテックに対して正面から向き合う価値はありそうだ。

 

 

ペットテックとは何か

ペットテックには教科書的な定義はなく、発言者によってさまざまだ。ただ、共通している概念はある。それは「テクノロジーによって、ペットの生活と健康状態を向上させるもの」だ。

 

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こう考えると、すでに普及している医療機器や電子カルテもペットテックと言える。ここでは、広義のペットテックではなく、IoT(Internet of Things)製品やAIプロダクトといった、近年注目されつつある新領域におけるペットテックについて掘り下げてみることにしよう。

 

ペットテックの代表例をご紹介

特筆すべきペットテックをピックアップしてご紹介する。いずれも、近年の発展が目覚ましく、今後の進化も期待されるテクノロジーを軸としている。

 

1)ウェアラブルデバイス(着用型の装置)

人では、Apple Watch(Apple社)に代表される装着型のデバイスを指すが、犬・猫では首輪が主流。首輪部分にセンサーやGPSが搭載され、活動量や位置情報等が取得できる。近年では、TPR(体温、心拍数、呼吸数)や血中酸素濃度が計測できるセンサーを搭載し、バイタル情報を記録することも実用化されはじめてきた。

 

2)遠隔診療 

欧米を中心に、遠隔診療のプラットフォーム(基盤)が築かれつつある。世界最大のペットEC(オンラインで買い物できるサイト)であるChewy(アメリカ)は、24 時間 365 日獣医師とチャットやビデオで相談や診療を受けられるサービスを展開している。 

 

前述のウェアラブルデバイスの情報と組み合わせて、自宅にいながらも十分な情報をもって診療を受けられることへの期待も大きい。

 

3)猫トイレプロダクト 

トイレ自体がデバイス化されたものや、トイレの下に置くデバイスなどがあり、室内飼育される猫の排泄物や体重を計測する。泌尿器疾患が多い猫では、排尿の量や体重の変化はことさらに重視すべき指標であり、計測の意義は大きい。多頭飼育のスタイルにも合わせ、複数個体を識別できる技術も普及を後押ししている。 

 

4)スマートフォンを活用した診断アプリ  

スマートフォンのカメラ機能を活用して、ペットの皮膚疾患や眼科疾患を診断するアプリも登場している。スマートフォンカメラは皮膚や眼を高解像度で映すことができ、膨大な疾病画像と照らし合わせ、AIが病名を診断する。

 

 

今後 7 年でグローバルのペットテック市場規模は 4 倍に。牽引するのは「ペットの家族化」か

米Global Market Insightsのレポートによると、2021 年のグローバルの市場規模は 50 億ドルで、2028 年には 200 億ドルを超すと見られている。4 倍近くまで成長する予測だ。年平均成長率(CAGR)は 20%と、類を見ない成長率であり、それほどの期待を寄せられていることがわかる。

 

日本においても高い成長率が期待されており、2023 年には 2020 年の 2 倍以上にマーケットが拡大するという見方もある(矢野経済研究所 2020)。

 

それはなぜだろうか。当然、プロダクトやAIにおける技術的な進歩も要因にあるが、いくつか無視できない背景もある。その一つが、1 頭あたりにかける金額の増加だ。これを牽引するのはプレミアムフードや保険と言われ、より家族化が進んだことがうかがえる。

 

家族には健康的に過ごしてもらいたいし、家族をより深く知りたいと思うのは当然だ。そしてそれは、ペットテックが得意とするところでもある。技術の進化だけでなく、ペットに対する向き合い方の変化も、市場拡大の後押しとなっている。

 

 

ペットテックに期待される 3 つのキーワード 

 

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こうした家族化の進化が横軸にあるとすれば、縦軸にはテクノロジーの技術的進化がある。この面積の広さがペットテックに期待される領域と言える。

 

この領域を注意深く観察してみると、大きく 3 つのキーワードが見えてくる。

 ●エフォートレス(飼い主の労力のサポート)

 ●パーソナライズ(個体ごとの最適化)

 ●ヘルスケア(疾病の早期発見)

 

エフォートレスな飼育環境の実現は、より世話の手間がなくなることを意味する。ロボティクスの分野はここが強みだ。例えば猫の自動トイレや、自動給餌器がある。将来的には、自動で散歩するロボットや、日々の運動量・QOLの向上を目的とした玩具なども登場するだろう。

 

パーソナライズが普通になる時代も来るだろう。「ベンガル専用フード」などのフードの潮流でもわかるとおり、近年ターゲットはかなり細分化しはじめている。生活記録などを用いたテクノロジーでは、個体ごとの特性を捉えることが得意だ。個体ごとのデータを用い、愛犬/愛猫にとって最適な飼育法・サービス・商品を提案することが可能になるはずだ。

 

ヘルスケアは最も進化の余地が大きい。言葉を話さず、体調変化も表現しにくい動物たちにおいては、医療介入が遅れやすい。テクノロジーが介在することで、人間では気付けないレベルの変化を検知することが既に可能になりつつある。今回は特にこの「ヘルスケア」を掘り下げていく。

 

 

新たな医療の概念「Lifelog Based Medicine」とは 

 

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動物病院で検査するデータは、その日その瞬間の情報でしかない。

 

診断を確かなものにするには、過去の情報が必要である。そのためには、飼い主から聴取するヒストリーだけが手がかりだ。しかし、それは往々にして曖昧だ。飼い主の主張は、個人の記憶と主観であり、事実が正確に伝えられることはほとんどない。これが診断のミスリードとなることもある。

 

ここでペットテックが登場するとどうだろう。過去の情報を確かに記憶するデバイスは、いつからどのくらい元気がないか、尿量の日次変動、食事量や飲水量などの推移を定量的に提示してくれる。

 

例えば元気を数値で把握できたとしたらどうだろう。先月は元気のスコアが 100 あったが、9 日前に 70 なり、昨日 50 に低下したという具合に、誰の目にも明らかな元気消失の傾向が掴めるはずだ。

 

これは既存の獣医療では知ることができない。なぜなら、自宅での生活は常にブラックボックスにあるからだ。このように、生活記録を基に医療を行う概念を「Lifelog Based Medicine(生活記録に基づく医療);LBM」と言う。

 

 

獣医療に「Lifelog」が加わることの意味

生活記録はさまざまなデバイスで取得ができる。例えば首輪型のものであれば、日々の行動(運動、採食、飲水、ジャンプなど)の特定と活動量の推移を元気としてスコアリングできる。

 

また、現在では心拍数や呼吸数、体温といったTPRまで首輪から取得することが可能になりつつある。常にモニタリングする必要はなく、AIが異常箇所を自動でピックアップしてくれる。

 

トイレで取得できるデータも同様で、例えば尿量の持続的な増加は腎臓疾患を、回数の増加は膀胱炎等の下部尿路疾患を示唆する。これらはデバイス無しでは容易には計測できず、気づきにくい異常も早期に発見することができそうだ。

 

こうした技術により、動物病院での検査情報に日常の生活記録を加えることで、病状はより立体的な輪郭を成す。

 

 

LBMは、具体的にどのように医療へ応用されるのか

Lifelog Based Medicine(LBM)の具体例を 4 つご紹介する。

 ●早期発見と早期通院開始

 ●素早く正確な問診情報の把握

 ●遠隔診療のリッチ化

 ●症状のモニタリング

 

早期発見と早期通院開始

 

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動物の具合が悪いとき、動物病院にひとりでやってくることはない。すべての通院のトリガーは、飼い主が異常を感知したタイミングに依存する。しかし、飼い主がいつも小さな異変に気付くことは難しい。よほど注意深く見ていたとしても、わからないような異常もある。

 

そこで、ハードウェア(デバイス)とソフトウェア(AIアルゴリズム)により、人の目では気付けないようなわずかな異常まで検知が可能になるかもしれない。

 

例1:慢性腎臓病

トイレ情報を取得するデバイスでは、1 日の総尿量や頻度を取得できる。食器をIoT化すれば、飲水量も取得することもできるようになる。例えば、多飲多尿の基準値をオーバーした場合、慢性腎臓病や糖尿病などの徴候に早期に気付くことができる。尿タンパクや尿糖の適時計測も可能になるだろう。

 

また、異常値の手前であっても、ある傾向が見られたタイミングで通知するなどを組み合わせれば、さらに早期の警戒が可能になる。

 

例2:僧帽弁閉鎖不全症・肥大型心筋症の早期発見

心拍数のモニタリングが精度高くできるようになれば、心拍数の増減に関与する疾病の早期発見も可能だ。安静時心拍数を計測しにくい動物医療では、自宅内での非ストレス下における心拍数の計測はより重要になる。心拍数の中央値や平均値の推移により、僧帽弁閉鎖不全症などの徴候を把握できるかもしれない。もちろん、心電図まで組み込めば、より広い範囲の異常検知が実現できるだろう。

 

素早く正確な問診情報の把握

すべての診療は、飼い主による主訴のヒアリングから始まる。しかし、そこには主観が混じりやすい。焦りや緊張から、うまく主訴を伝えることができない飼い主もいる。状況を理路整然と伝えられる飼い主はまれだ。

 

獣医師が知るべきは、飼い主が感じたことや飼い主が考えた可能性ではなく、ファクト(事実)であろう。そこは、テクノロジーの得意分野だ。病状のタイムラインが並び、異常ステータスが生じた箇所はハイライトされ、飼い主はこれらの情報を手元に置きながらスムーズに説明することができる。より正確でスピーディな問診が可能になる。

 

遠隔診療のリッチ化

IoT機器は遠隔診療と相性が良い。なぜなら、取得した医療情報を自宅にいながら獣医師にも連携できるため、Lifelogが遠隔診療を行う際の"資料"となる。IoTでは、インターネットを介して情報を引き出すため、獣医師はビデオチャット中に飼い主側の画面に映るものと同じデータを見ながら診療ができる。 

 

獣医療における遠隔診療は、「第三者への診療」となるケースが多い。つまり、対象患者(動物)ではなく、第三者である飼い主に対するヒアリングがメインになるため、人医療での遠隔診療に比べて難しさが伴う。 

 

獣医療の遠隔診療では、こうしたLifelogデータの有無で診療の質が大きく変わるかもしれない。 

 

症状のモニタリング

 

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「治療の効果はどうですか?」という質問に対する回答は、飼い主家族の間でさえ差が生じることも多い。しかし、デバイスによって定量的に状態を評価することで解決するかもしれない。

 

例えば、関節炎の診療時に日々の活動量をモニタリングすることで、投薬前後の活動総量を評価できる。薬が奏効していれば痛みが緩和され、効果がなければ活動量は変わらない可能性が高い。定量指標を用いることで、これまでよりずっと治療の効果検証をしやすくなるだろう。

 

 

一方、産業動物では既にウェアラブルデバイスと医療の実用化が始まっている

産業動物は群での管理を行うことから、より異常の発見が難しい。個体ごとの発情傾向や出産徴候などを管理するには、酪農家・肥育農家の「目」が不可欠で、そこには大きな労苦が伴う。疾病にかかったり、やむなく殺処分になったりすれば、大きな経済的損が生じ、農家の生活にさえ関わる。

 

そこで、牛ごとにウェアラブルデバイス(首輪など)を装着することで、発情・出産傾向を自動で検知し、自宅にいながら状態を把握できる技術も登場している。獣医師にもその情報が連携されるため、牛舎でスマートフォンを見ながら診察する場面も増えているという。

 

 

ペットテックの未来に寄せるスタートアップたちの期待

2023 年 1 月、米ラスベガスで開催されたCESには、最新のテクノロジーが集まった。CESは、数千社の出展と、数万人の来場者が訪れる世界最大の展示会の一つだ。近年、このCESでもペットテックが注目を集めはじめている。

 

CES 2023 には約 20 社からペット関連プロダクトが出展されていた。大企業ではSamsung Electronics(サムスン電子)から、さらに各国のスタートアップからも盛んに最新のプロダクトが展示された。

 

最も目立つのは首輪型デバイスである。海外ということもあり、大型犬を主なターゲットとした大型のデバイスが多い。しかしその分、複数のセンサーやGPSを搭載できるメリットがある。フランス発の「invoxia(首輪型デバイス)」は、心拍数や呼吸数、そして体温まで測定が可能という。Cotton社(韓国)の「Sense 1」も同じく首輪型デバイスで、国立大の獣医学部と共同開発したセンシング技術を強みとする。血中酸素濃度なども測定可能な設計としているようだ。

 

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AI For Pets社が提供する「TT Care」は同じく韓国発のスタートアップで、スマートフォンのカメラアプリを活用した犬猫の診断システムを提供する。皮膚疾患や眼科疾患といった、見た目に現れる病変を画像で診断する。同社で技術顧問を務める獣医師のKim氏は、教師データとなる病変画像を百万例ほど集めたという。

 

日本からは「Catlog(キャトログ)」を提供するRABO社が出展した。Catlogは、猫専用の首輪型デバイスとトイレ併用型デバイスだ。既に国内で数万匹の猫が利用しており、そのデータ数は 80 億件を超す。

 

その他にも、整形外科手術を行う際、ARゴーグル上にインプラントの角度や適切な場所を表示するソフトウェア「Surgiverse(フランス)」や、鼻紋を用いた個体識別を行う「Petnow(韓国)」、野鳥用のオートフィーダー(自動給餌器)の「Birdbuddy(米国・スロベニア)」までユニークなプロダクトが顔を揃えた。

 

各社へインタビューを行うと、ほぼすべてが口を揃えて話すキーワードがあった。それは、「動物病院との連携」だ。

 

 

まだ、獣医師の信頼を勝ち取ることができていない現状

CES 2023 で見られたペットテックは、控えめに言ってもヘルスケア一色だった。昨年のCES 2022 からたった 1 年でここまで進むのかと驚いた。テクノロジーの力を通じて、獣医療、ひいては動物のQOL向上への貢献を探しているように見えた。

 

各企業へ 5 〜 10 分ほどのショートインタビューを行ったが、共通していた見解は「このデータが動物病院でどのように活用されるかが重要だ」というものだった。

 

つまり、デバイスやアプリケーションによってLifelogを取得することはできる。それを飼い主に伝えることもできる。しかし、動物病院で活用することには課題がある。まだ、獣医師の信頼を勝ち取ることができていないためだ。

 

米国の獣医師は、その点について寛容であるようだ。技術の新旧は問わず、現時点の完成度も問わず、医療にとってポジティブな影響があるなら(または、より効率的な医療が実現できるのであれば)トライしてみよう、という考え方だ。実際、既に米国での展開を始めているスタートアップの数社はそのように話す。

 

しかし、アジアや欧州でのプレゼンスはまだ低い。医療機器として承認されておらず、どの程度の精度であるかわからないテクノロジーを使うことへの懸念は多いようだ。命を扱う獣医師にとって、新しい技術に対して慎重になるのは当然だ。

 

 

Lifelog Based Medicineは今世紀の獣医療の主役になりうる存在

繰り返しになるが、Lifelog Based Medicineは、獣医療に大きな技術的変革点をもたらすだろう。今世紀前半の主役になると言っても過言ではない。

 

これまで気付けなかった徴候を簡単に検知できるようになり、これまで把握できなかった治療効果の検証ができるようになる。より早期に病気を発見し、より繊細な疾病モニタリングが可能となる。

 

次第にこのようなLifelogデータを活用する病院とそうでない病院に分かれはじめ、飼い主の病院選択の意思決定にさえ関わる時代がやってくるかもしれない。

 

私的な見解だが、獣医療におけるLifelog Based Medicineは、人医療をリードする可能性があると考えている。なぜなら、個人の医療情報は、機微情報(センシティブ情報)に分類され、個人情報の中でも最も奥深くで守られるデータとされる。そのため、個人のLifelogを医療機関とシームレスに連携することには大きなハードルが伴う。進歩には時間を要するはずだ。

 

しかし、獣医療では「個体情報」だ。個人情報ではない分、Lifelogが病院とも連携しやすい環境にある。

 

 

ペットテックの進化はこれからも続く

もう一度、将棋界に話を戻す。AIが初めて現役棋士に勝利してから 3 年後、圧倒的な強さで将棋界にデビューした若者がいた。現在では六冠にまで上り詰めた藤井聡太竜王だ。藤井竜王は、当時、眉唾ともされたAI将棋と対戦を重ねに重ねたという。AIへの脅威どころか、自らの強みに生かし始めたことで、これまでにはなかったアプローチで新しい将棋戦略を見出し続けている。

 

今では若手の棋士はもちろん、ベテランの棋士さえもAIと対局を重ね研鑽を積む時代となった。多くの棋士たちが「AIが人間以上になることはない」と答えてから 24 年。AIはすっかり将棋界の新たなスタンダードになった。

 

これは獣医療とペットテックにも当てはまるのではないだろうか。ペットテックにおけるデバイスやソフトウェアはまだ完成形ではない。しかし、Lifelog Based Medicineがもたらす可能性はかなり大きい。今後数十年、いや早ければ数年後には、新たなスタンダードになる可能性もある。

 

ペットテックの進化はこれからも続く。さらに精度が高く、さらに範囲の広いテクノロジーが登場する。獣医療への浸透も時間の問題であり、今後も目が離せない存在になっていくだろう。

 


小川篤志(おがわ あつし)

東京都獣医師会 広報委員長。臨床医として宮崎犬猫総合病院 院長、TRVA夜間救急動物医療センター 副院長を経たのち、アニコムホールディングス株式会社の経営企画部長として従事。中期経営計画の立案や新規事業の推進等を行うかたわら、アニコムキャピタル株式会社のCEOとしてベンチャー投資に関わる。現在、
株式会社RABO所属。

 

※本文中に登場するCESでのレポートは、株式会社RABOによる提供です。

                                                  

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