特集【動物病院でM&A・事業承継が注目される理由と時代背景】

執筆:小川 篤志(XM&A and COMPANY)

獣医師。日本獣医生命科学大学 卒業後、TRVA動物医療センター等で臨床経験を積む。その後東証1部上場企業の経営企画部長として、中期経営計画・戦略の立案、IR/PR、新規事業、ブランディングを統括。動物病院専門のM&A仲介事業「XM&A and COMPANY」を創業し、代表を務める。東京都獣医師会理事。

本稿の内容は筆者個人の専門的見解に基づくものであり、所属組織または東京都獣医師会の公式見解を示すものではありません。筆者は関連分野に関係する企業に勤務していますが、公益的観点から記述しています。

昭和は「開業ラッシュ」、平成は「差別化」、令和は?

昭和は「開業ラッシュ」、平成は「差別化」、令和は?

我が国における家庭飼育動物を対象とした動物病院の歴史を振り返ってみると、大きく成長を遂げたのは昭和でした。屋外飼育から室内飼育が主流になり、文字通り家族化が進んだ時代です。多くの獣医師が病院を開業し、この業界の成長を牽引してきました。

平成になると、成長産業だった動物病院業界は成熟産業に入っていきます。そうなると市場原理として差別化が進むのは自明。「なんでも診る、街の動物病院」が主流だった業界に、分野特化型で差別化した病院が誕生していきました。眼科専門病院、夜間病院、高度医療センターなどです。業界全体がジェネラリストからスペシャリストに細分化していった時代でした。

そして令和。様々な要因で飼育頭数が減少。その一方で動物病院の数は増え続けています。競争環境はこれまでにない厳しい時代に入りました。

引退の花道は、廃業か承継かの二択

昭和の開業ラッシュに開業した獣医師は年を重ね、引退の二文字と向き合っている方が多くいます。引退の花道は二つしかありません。廃業か、承継です。

メリット・デメリットで語るのは適切ではないかもしれませんが、廃業のメリットはそう多くありません。処分や原状回復等の廃業費用がかかります。従業員は失職し、取引先は契約を無くし、顧客はかかりつけを失います。

しかし、事業承継は逆に売却益として大きなインカムをもたらします。従業員は仕事を続けることができます。取引先にとっても損失はなく、顧客は慣れ親しんだ動物病院に通い続けることができます。

廃業と承継は、端的に表現するならば「End」と「Continue」と言い換えられるのかもしれません。事業承継はその経済合理性のみならず、人と人との関係を切らずに続けることができるという点が、事業承継が大きく注目される要因ではないかと考えています。

動物病院だけじゃない。少子高齢化による後継者不足は、日本全体の大きな社会課題

M&A数の推移

M&A・事業承継は、近年経済産業省を中心にテコ入れされ始めているキーワードでもあります。実際、この十余年で中小企業のM&Aの数は急増しました。その理由は高齢化と後継者不足問題です。

中小企業・商機事業者の経営者年齢の分布

中小企業庁HPより

実際、中小企業経営者は年々高齢化が進んでおり、過去20年間で経営者年齢のピークはきれいに上昇し、47歳から66歳に移動しています。加えて、中小企業全体の54.5%が「経営者不在」と回答しています(中小企業庁 中小企業白書2024)。

後継者不在による廃業の発生

中小企業庁HPより

この町工場しか作れないネジ、この水産加工会社でなければ出せない味、この鍛造工場でなければ打てない鍋、こうした技術は溢れています。にも関わらず、黒字廃業は半数を超え、後継者不在による廃業も3割を占めます。日本が大切にしてきた職人技術が、後継者不在によって「End」を迎えることは、大きな損失です。

一昔前は、経営者の息子が当然のように後継ぎとなる時代でした。しかし、少子化や職業選択の多様化が進み、後継ぎは家族以外から探す必要が生じます。それが第三者承継(M&Aを含む事業承継)です。

これが日本における中小企業のM&A急増の理由です。

年々激しくなる競争環境。このまま続けるか、廃業するか、または若い力に委ねるか

1病院あたりのペット頭数

最後に、動物病院に話を戻します。

過去10年で、1院あたり平均の犬猫頭数は約2割減少しました。動物病院数の増加と飼育頭数の減少のダブルインパクトがあったためです。「たった2割」と思われるかもしれませんが、市場全体での2割は衝撃的な数値です。それほど競争環境は厳しくなっています。

数字的な部分だけではありません。インターネットの普及により飼い主さんが自ら知識を得ることができる時代において、最新の治療を求める傾向は強くなっています。そんな中で、高齢の院長が新たな知見・技術を習得するのは楽なことではありません。

労働環境も深刻です。昔なら、従業員に深夜オペを手伝ってもらったり、休診日の入院動物の世話をお願いしたりもできたかもしれませんが、今はそうはいきません。人が足りない分の仕事を院長自らやらなければならない負担は年齢以上に堪えるでしょう。

このまま続けていくのか、いっそのこと廃業するのか。そんな時に第三の選択肢「事業承継」があります。希望にあふれる若い獣医師に経営を委ね、従業員の雇用と顧客を守る。長年築き上げてきたご自身の病院に、さらなる発展を期待できることは、自らに訪れるインカムと同じかそれ以上にワクワクすることなのかもしれません。

この記事を書いたライター

小川篤志

小川篤志